2001年11月のお話

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すばる星 前編(日本)「おうし座・プレアデス星団」
「すばる星」は西洋名のプレアデス星団で、 「つりがね星」のヒアデス星団と共に、 おうし座を形造っています。 すばるの語源はとうに忘られていますが、 江戸時代に狩谷掖斎(えきさい)・平直方などが 考証しているように、「統(すべ)る星」の意味で、 六つの星が糸で統べたように集まっているからです。 最も古い文献としては、古事記に五百津御統の珠とあるのがそれで、 上代に髪や手首などに懸けた玉飾りのことです。 神器の八尺の勾玉も「すまる」であるらようです。 この「すまる」から転じて「すばる」となったようです。 しかし、星の名として現われているのは、源順撰の倭名抄が最初で 「昴星・・・和名須八流」とあって、つぎに、 清少納言の枕草子に、「星は すばる」云々とあるのが広く知られています。 今でも、すばる、すまるの名を伝える地方は関西に多いのですが、 元の意味を知らないことから、地方によって「すわり星」「すわい」「つばる」や、 「すまり」「すもり」など呼んでいところもあります。 そして寒い冬空にすわっているように思えるからだといい、 熊本の南部では「すわり地蔵」という名をも生んでいます。 西美濃の山地で、「六地蔵」、越後地方で「六体さま」というのも、 数をいっただけでなく、やはり居すわっている印象によるものでしょうか? すばるは農耕の季節を判断したり、また海上では特にイカの集りを知る星として 重要視されていて、偶謡も多く伝わっています。 しかし、伝説となると、沖縄とアイヌの他には殆んどみあたりません。 丹後風土記に、与謝の浦島太郎が竜宮城をおとずれた時、七人の童子が出むかえました。 亀比賣(かめひめ)に尋ねたら、「すばる星なり」と答えたとありますが、 これは中国の伝説から来ているようです。 この他では、すばると3つ星の追いかけくらがあるぐらいで、 アイヌ地方にすぐれた伝説があります。 (1999年12月 掲載 イウタニ)
 沖永良部島昔話のなかにこんな話があります。 「亡き妻の後を追って馬に乗り、スバの鞭をあてて天に達したキーチャ殿という男が、 しばらく行くとブリフシ(群星、すばる)にであいました。 そこで「ブリフシ、ブリフシ、玉のミショダイ(妻を指す)の女子は見やじな」と問うたところが、 「自分は麦蒔きが遅くなって見なかった。後からミチブシ(3つ星)が来る。あれに問うてみ。」 またしばらく行くと、ミチブシにであいました。それに問うたところが、 「自分は田植が遅くなって見なかった。後から夜明け星が来るよ。あれに尋ねてみ」 と返事をしそうです。(後略) ブリフシが麦蒔に、ミチブシが田植に関係の深い星であったことが充分想像できます。 なお、宮良当壮氏の大著「八重山古謡」にはムリカブシ・ユンタ(群れ星の歌)があって、 古琉球のためにおおいに気を吐いています。 これらに比べて、内地でもっとも古く、かつ海外にも発見されぬ実名のこの星団に、 それらしい伝説を伴っていないことは、まことに残念でなりません。
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