2000年4月のお話

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女神イシス(エジプト) 「おとめ座・スピカ」
エジブトでは、おとめ座はオシリス神の后、イシス女神と見られていました。 オシリスはエジプトの神代第4代の王で、「仁者」とも呼ばれたように、仁徳を以て民を治めていました。 後に政事をイシスにゆずって、全国をめぐりあちこちに農作を教えていました。 オシリスにはティフォン(闇の悪神・りゅう座)という弟がいました。 兄が帰ってくると聞くと、72人の悪者と、オシリスを迎えて盛大な酒もりを開きました。 そして、あらかじめオシリスの身長に合わせて作っておいた箱を酒盛りの会場へ運びこみ、 この中にはいって身長の合った人に、これを進上するといいました。 客はかわるがわる中にはいってみたが、だれの身長も合いませんでした。 最後にオシリスがはいると、ティフォンは直ちに箱のふたを閉じ、釘づけにし、松やにで封じて、 ナイル川の中へ投げ込みました。 箱は流れ流れて海に出で、シリアの国ビブロスの海岸に漂いつきました。 すると、オシリスの入った箱を守るように、海岸の藪(やぶ)が、茂って箱をかくしました。 后イシスは、夫の死を聞くと、ひどくなげき悲しんで、髪の毛を切り、喪服をつけて、 箱の行くえをさがし歩きました。 そして、神のお告げでようやくビブロスの地に着き、箱を発見して、エジプトへ持ち帰りました。 ところが悪神ティフォンは、月の晩に狩りに出て箱を見つけ出し、王のなきがらを14に切って、 四方へまき散らしてしまいました。 イシスは、それをも忍耐強くさがし歩いて、それを見つけだすたびに、その場所にお墓を建てました。 後にオシリスの子ホールスは、トート、アヌブス、二神の助けをかりて、ティフオンらと戦い、 父のかたきをとったということです。
エジプトでは、夏至の前に降る雨を「イシスのなみだ雨」と呼び、ナイルの川べりで祭をおこ ない、川水をくんで、その年の水かさを計っていました。 また、天の川は、イシスがティフォンに追われて逃げたとき、持っていた麦の穂を落し、 それからこぼれた粒が、空にかがやくものと伝えられています。 以上のほかに、この星座は、バビロニアでは女神イシュタルの姿とあおがれ、 また地の神ベルの姿とも見られていました。  この星座を、乙女または女神の姿と見ていたのは、この星座にある一等星スピカが、 すみ切った美しい白色で輝いているためとする説が一般的です。 これは、東に約30度をへだてた、うしかい座のアークトゥルスの、はなやかな金色と見くらべると、 充分納得できると思います。 本当に、胸の奥までも清められるような色と瞬きで、日本の名「しんじゅ星」も、よくこれを生かしています。 光度1.2等、距離320光年。からす座の梯形から自然に見つけることができます。 しかし、まわりの星が目だたないため、アラビア地方では「さびしい、護衛のない星」と呼んでいました。 中国では角といって青竜の一本の角の先と見ていたようです。
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