1999年8月のお話

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客星帝座をおかす(中国)「夜空の巨人・ヘルクレス座」
 へびつかい座の上(北)にある大きな星座です。 星座絵では、りんごの枝(時には2匹のへび)を左手につかみ、 右手にこん棒をふり上げた巨人が、へびつかい座の巨人と頭を接して、 さかさまに天にに昇っています。 この星座には、3等星より明るい星はありませんが、目印となるのは、 六つの星がつづみの形(アルファベットの”H”)をえがくもので、 これが巨人のからだを示し、手足はその4すみからのびています。 頭のアルファ(3等星)は赤い星で、へびつかいの頭のアルファ(2等星)の すぐ西にならんで輝いています。 アラピア名をラス・アルゲティ(びざまずく者の頭)といい、直径は太陽の約800倍、 全天でも稀れな巨星です。 へルクレスは神話の大力士であるが、ギリシャでも初めは、 エンゴナシン(ひざまずく者)とか、 アイドロン(まぼろし)と呼ばれていました。 フェニキアではメルカルトという神の名であがめられていました。
 中国では昔、この星座のアルファを天帝の玉座として「帝座」と呼び、 たいそう重んじていました。 天文博士は毎夜これをながめて、流星や、ほうき星(彗星)などが、 これに近く現われるのを「客星帝座をおかす」といい、 天子のために、非常に不吉の事のまえぶれとみていました。 十八史略その他いろいろの書には、そんな記事があります。 たとえば「流星が帝座にいたれば、諸候の兵起り、臣がむほんを起す」とか、 「ほうき星がおかせば、人民大に乱れ、皇居がよそに移る」、 「火星がおかせば、反乱があって、王は一年を出でずして他へ移される」 などというたぐいです。 もちろん迷信ですが、中でも最も有名なのは、後漢の巌子陵(げんしりょう)の物語です。 厳子陵はまだ書生のころ、後の光武皇帝と同じ師について学んでいましたが、 光武が位にのぼると、姓名を変えてどこかへ姿をかくしてしまいました。 光武は彼を重く用いるつもりで、八方その行くえをたずねさせました。 すると、斉(せい)の国から、「こちらで、一人の男が羊の皮を着て、沼で釣り をしているのが、おたずねの人物らしい」と連絡がありました。 そこで、光武は馬車を三度まで使者を立てて、ようやく子陵を都へ連れて来させました。 そして宮殿へ迎え入れ、おおいにもてなして、いろいろ昔話に夜をふかしてから、 床をならべて眠りにつきました。 すると、ねぞうの悪い子陵は夜中に足を皇帝の腹にのせてしまいましたた。 夜が明けると、天文の役人が慌てて連絡をしてきました。 「昨夜、客星が帝座をおかすことが急でございました。」 光武はそれを聞き、笑いながら、 「わしが、昔の友だちの子陵と一緒に寝たまでのことじゃ」と言いました。 その後、子陵を諫議大夫(かんぎたいふ)という重い役につけようとしましたが、 引き受けずに、どこかへ行ってしまいました。 また、こんな話もあります。 唐の名臣といわれた李泌(りひ)は、国の乱にいろいろ功労があったので、 粛宗星帝が重く用いようとしましたが、辞退して聞き入れませんでした。 そして、「わたくしの願いは、ただ天子のおひざに枕して眠り、 空の星を動かして、天文の役人に、客星帝座をおかすと 言上させてみたいばかりでござる」と答えました。 粛宗は笑いましたが、後に李泌が寝ているところへそっと入ってきて、 床にのぼりその頭を抱いて、そっと自分のびざの上にのせていたそうです。 その夜、客星が帝座をおかしたとは書いてはありませんが、 いかにも君臣の情の現われた話だと思います。  なお、この星座には、つづみ形の上の左辺に、有名なの球状星図(学名M13)が、 6等星ぐらいの光度に見えます。 大望遠鏡写真では、5万個以上の星が球状に密集していて、非常に美しい姿が確認できます。
M13 ヘルクレス座球状星団
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