1998年9月のお話
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所かわれば・・・ 凶兆の印も吉兆に?
  土星は昔から暗いイメージがつきまといます。  これは土星の英名が「サターン」であり、  どうしても悪魔の「サタン」との言葉の類似がそうさせるのですが、  土星はこれとは関係なく、ローマ神話の農業の神「サトウルヌス」から由来しています。  しかもギリシャの神々の中で一時期、神々の世界に君臨していた「時の神クロノス」に該当します。  ところが、このクロノスが陰惨かつ冷酷な「父殺し・子殺し」という恐ろしい経歴を持っていますから、  土星はどうしても悪の性格から逃れられないようです。  クロノスは天の神「ウラノス」を父とし、大地の神「ゲア」を母として生まれました。  ウラノスは、多くの子をゲアに生ませましたが、さいごには「テイタヌス」「キユクロプス」  「へ力トンケイレス」などの巨人族や怪物族をつくらせました。  しかもへカトンケイレスはあまりにも醜い怪物だったため、  ウラノスはこれをきらって奈落の底へ押し込めてしまいました。  けれども母のゲアは、いくら怪物でも我が子がかわいそうだと思いクロノスを唆して、  父ウラノスを殺させてしまいます。  クロノスもまた、たくさんの子供を生み、その中にはギリシャの主神「へステイア」  「デーメーテル」「ヘーラ」「ブルトーン」「ポセイドン」、未っ子の「ゼウス」が生まれています。  ところがクロノスは自分が父を殺したので、自身もまた子供達に殺されるという妄想に取り付かれ、  片っ端から我が子を飲み込んでしまいました。  しかし末のゼウスだけは乳母の助けを借りて、大きな石を身代りに飲み込ませてクロノスのもとを  逃げてしまいます。  やがて成長したゼウスはクロノスと戦って、これを討ち滅ぼし、神々の世界の主権の座を  手に入れたのです。
  ところで凶(わざわい)の星、悪の星といえば、彗星の右に出るものはありません。  その形の無気味さ、捕らえどころのない光芒、予想のつかぬ出没、天界の穏やかな運行をかき乱す  存在として、彗星は恐れられていました。  その名もコメット(髪)と呼ばれ、魔女の髪の毛と見られています。  紀元前44年、ローマの執政「シーザー」が、「ブルータス」などの陰謀で暗殺されようとした頃、  夜毎の空に巨大な彗星が出現したことが記録に残っています。  西暦1066年ノルマンの征服王といわれる「ウイリアム」が、イギリスに侵入し、  イギリスの王ハロルド二世の軍勢を「へイスチングスの野」で討ち破った時も「ハレー彗星」が出現し、  イギリス国民を恐怖のどん底に落とし入れた有様が、  フランス北部バヨー市に保存されている「バヨーの壁掛け」に刺繍で描かれています。  特にヨーロッパでは、中世暗黒時代をとおして彗星は大凶の星であり、  人物の死、戦争、疫病、飢饉、洪水、干ばつといったあらゆる災害を地上にふりまくものと  みなされていました。  ただ一つ例外があって、フランスで、ある年大彗星が現れた後、ブドウが空前の大豊作となり、  この年に作られたブドウ酒は、「コメット・ワイン」と名付けられて、  今でもちやんと辞書に載っているほどです。  ところが、この彗星が日本にやってくると、  それほど悪役とも思われていなかったのだから妙な事です。  確かに「枕草子」の中にも、「名おそろしきもの」として「ほこ星」があげられているのは、  戈の形をした彗星のことに違いありませんが、その他の文献を調べてみると、凶兆もありますが、  「穂垂星」「稲星」「長星」といった呼び名があり、稲の豊作の徴であるといほうが多いようです。  彗星の尾が多少カーブしているのが、稲の穂を連想させ、  日本の一般庶民にはさして恐ろしい印象を与えていなかったようです。  小林一茶の「我春集」(おらがはる)の中にも、こんな一文と俳句が載っています。    七月二十六日(文化七年)頃より北方七星の辺りに    稲つかねたらんやうなる星現るる。    老人豊秋の印なりという。  << 人並や 芒(すすきさ)もさわぐ ははき星 >>
  そういえば中国でも「彗星」は不吉な星として扱われていたという記録があります。  同じ「彗星」でも国や人が変わるとそのとらえ方がずいぶんと変わるものだと感じます。  まぁ「物事はある一方からだけのみかたで判断するのではなく別の角度からも考えてみると、  違ったものになる」といういい例ではないでしょうか。  人というのは、何か悪いことが起きたら、「パッ」とそっちの方に意識がいってしまい、  落ち込んだりします。また、いい事があると、急に明るく元気になったりもします。  だから人間なのかもしれませんが・・・。  先ほどの「彗星」の例ではありませんが、何か悪いことが起きても、  少しい見方を変えることによって、それはいい事の前兆なのかもしれませんし、  いい事へ向けての足がかりになるものかも知れません。   そう考えて行くと人は一生を楽しく過ごせるのではないでしょうか?  結構つらいことがあったりすると、「どうして自分ばかりにこんな事が・・・。」  とふさぎ込んでしまいがちですが、そこは「グッ」と気持ちを切り替えていくと、  明るいものが見えてきたりすると思えます。  昔からあるじゃありませんか「ところ変われば品変わる」とか  「苦あれば楽あり」(楽あれば苦ありなんてのもありますが)  また「冬きたりなば春遠からじ」なんてことわざが・・・。  人間は「前向きに生きる事が大切」という事でしょうか。
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